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面接解体新書第3弾|ガクチカ・自己PR

ガクチカに書けるものがない人へ — 派手な実績がなくても通る理由と、地味な素材を戦える形にする手順

ガクチカに書けるのが、サークルとアルバイトしかない。 派手な実績がある人には、最初から勝負にならない気がしている。

そういう人に向けて書いた。

読み終えると、勝てるエピソードを探すのをやめられる。そして、いま手元にある一番地味な経験を、そのまま戦える形に組み直す手順が手に入る。

就活生が最初に信じ込む嘘

就職活動を始めた学生が、かなり早い段階で信じ込む通説がある。「大手に受かるやつは、体育会で全国大会に行っているか、起業しているか、留学して現地で何かを立ち上げているか、そういう人間だ」というものである。裏返せば、「自分にはサークルとアルバイトしかない。だから最初から勝負にならない」という諦めになる。

この諦めは、ガクチカのエピソード探しという不毛な作業を生む。手持ちの経験を並べて、どれが一番すごいかを比べる。どれもすごくないので、少し話を大きくする。それでも足りないので、今から何かすごいことをやろうとして、就活の残り数か月で新しい活動を始める。この一連の動きはすべて、最初の前提が間違っていることから発生している。

結論から書く。この通説は誤りである。 ただし「地味な経験でも気持ちが伝われば大丈夫」といった精神論として誤りだと言っているのではない。採用側の意思決定構造から見て、「実績が派手だから採用する」という判断がそもそも成立しないという意味で誤りである。以下、その構造を説明する。

面接官は「実績が派手だったから」と報告できない

このナレッジ全体の土台に、次の前提がある。面接官は面接終了後、人事部あるいは自部門に対して、学生の合否とその判断理由を報告する義務を負っている。(これは私が現職で採用活動に携わるなかで実際に見ている運用である。他社の手続きの細部まで同一だと断言はできないが、面接官が単独で最終的な採用権限を持つ企業はまれであり、何らかの形で判断が上位に伝達される点は、業界を問わず共通している。)

ここから、面接の勝利条件が導かれる。面接とは、自分を良く見せる時間ではない。面接官が組織に対して説明できる材料を渡す時間である。そして面接官が組織に説明できる形式は論理しかない。「なんとなく良かった」は報告として成立しないからである。

この構造に、「実績が派手だったので合格を出しました」という報告を当てはめてみる。この報告を受け取った人事部や上司は、次に何を思うか。「それで、その学生はうちで活躍するのか」 である。

ここが決定的な分岐点になる。採用は投資である。企業が採用に多額のコストを払うのは、その人物が入社後に活躍し、簡単には辞めないという見込みがあるからだ。つまり採用の意思決定は、過去の表彰ではなく、未来の予測である。そして「全国大会に出た」という事実それ自体は、未来の予測に接続しない。学生時代の競技実績と、その企業の業務での成果とのあいだに、直接の因果関係はないからである。

だから面接官は、「実績が派手だったから」を報告理由として使えない。使ったとしても、上位者から「それは、うちの仕事ができる根拠になるのか」と問い返されて終わる。この問い返しに答えるためには、結局、実績そのものではなく別のものを持ち出さなければならなくなる。

では、派手な実績を持つ学生は何を評価されているのか

ここで「実績は一切関係ない」と言い切ってしまうと、現実と合わない。実際、派手な実績を持つ学生が通りやすいという印象は、多くの人が共有している。この印象は錯覚ではない。ただし、評価されている対象を取り違えている。

面接官が組織に報告できるのは、次のような形である。

この学生は、所属していた組織で成果が出ていない状態を自分で認識し、その原因を分解して特定し、打ち手を決めて実行し、結果として状態を改善している。同じことを、当社の業務の文脈でも実行できると考えられる。

この報告なら、「それで、うちで活躍するのか」という問い返しに耐えられる。なぜなら、報告されているのは過去の結果ではなく、結果を生み出した過程だからである。過程は業務が変わっても持ち運べる。持ち運べるものを、私たちは再現性と呼ぶ。

派手な実績が評価されるのは、実績そのものが偉いからではない。実績を出す過程で、再現性のある行動が実際に取られていたことが強く推定できるからである。 全国大会に出るには、何らかの目標を立て、現状との差を把握し、埋める手を打っている。そういう過程を経ずに全国大会に行くことは、ほとんどない。だから面接官は、実績という結果から過程の存在を逆算し、その過程を報告理由に使っている。

つまり、実績の派手さは過程の存在を示す代理指標として機能しているにすぎない。評価の本体は過程のほうにある。そして過程は、実績の派手さとは独立に存在しうる。ここが、通説が誤りである理由の核心である。

認めるべき非対称性——地味なエピソードは、確かに構成が難しい

ここまでで「実績の派手さは本質ではない」と言った。しかし、だからといって派手なエピソードと地味なエピソードが完全に対等かというと、そうではない。明確な非対称性がある。 これを隠して「誰でも同じように戦える」と書くのは不誠実なので、正面から書く。

派手な実績を持つエピソードには、結果がすでに定義されているという決定的な利点がある。「全国大会に出場した」「事業を立ち上げて黒字化した」といった記述は、それ自体で誰にとっても意味が分かる。何が達成されたのかを説明する必要がない。結果が自明なので、話者は最初から過程の説明に入れる。構成が楽なのである。

これに対して、サークルの運営やアルバイトのように、既存の仕組みを維持する役割を担ったエピソードには、あらかじめ定義された結果が存在しない。「サークルの代表をやった」という記述は、何が達成されたのかを何も語っていない。したがって話者は、過程の説明に入る前に、まず「何が結果なのか」を自分で定義するという工程を経なければならない。この工程が、地味なエピソードの難度を跳ね上げている。

私はこの難度を、失敗を通じて実感している。大手損害保険会社の集団面接を受けたときのことだ。一人あたり10分程度の面接で、最後にフィードバックがある形式だった。そこで私は、サークルのガクチカについて「インパクトがない」と言われた。

当時は素材が悪いのだと思った。しかし今の理解では、問題はそこではない。エピソード自体にインパクトがなかったのではなく、インパクトのある場所を私が明確にできていなかったのである。私は「サークルでこういうことをやった」という話し方をしていた。活動それ自体は、大学生の相当な割合が経験している。だから「やった」で終わる話には、聞き手が拾える引っかかりがない。

必要だったのは、「××をやった」ではなく「××を成し遂げた」という結果ベースの語りだった。何が問題で、何がどう変わったのか。そこを自分で定義して提示していれば、同じ活動でもまったく違う話になっていたはずである。

つまり非対称性の正体はこうである。派手なエピソードは「結果の定義」という工程を免除されている。地味なエピソードは、その工程を自分で通過しなければならない。 免除されているぶん、派手なエピソードは楽なのである。

だから、地味なエピソードのほうが設計力を要する

ここから、この記事で最も伝えたい転倒が出てくる。

「結果の定義から始めなければならない」というのは、確かに負荷である。しかし同時に、それは自分で設計できる余地が大きいということでもある。派手な実績を持つ人は、結果があらかじめ与えられているぶん、そこから逆算する自由がない。「全国大会出場」という結果は動かせないので、そこに向けた過程を語るしかない。

一方、地味な素材の持ち主は、まず「このエピソードにおける結果とは何か」を自分で決めるところから入る。志望職種で活躍する人物像(3点セットの②御社で活躍できる素養)を先に決め、それを証明するのに最も都合のよい結果の切り取り方を選べる。抽象的な結論を先に置き、それを裏づける具体を後から拾うという順序——このナレッジで繰り返し述べている設計の原則を、最も自由に適用できるのが、実は地味な素材のほうなのである。

そして、ここからは私の推測になるが、その設計作業そのものが、面接の場で評価対象になっていると考えている。誰が見ても分かる結果を報告するのは、事実の伝達である。定義されていない状況から結果を切り出し、原因を分解し、聞き手が理解できる論理として提示するのは、その場での能力の実演である。後者は、仕事そのものに近い。当たり前の結論を、当たり前の理由で、上位者が説明できる形に整えて渡す——これは私がグループディスカッションやケース面接について考えていることとまったく同じ構造であり、実務でやっていることでもある。

だから私の結論はこうなる。地味なエピソードは、派手なエピソードより不利ではない。ただし、より高い設計力を要求される。 そして要求される設計力を実際に発揮できたなら、その事実自体が追加の証明になる。この意味で、地味な素材は「派手な素材と同じ土俵に立てる」だけでなく、「うまくやれば別のものを一つ多く証明できる」可能性を持っている。


実行手順——地味な素材を戦える形にする4ステップ

理屈だけでは動けないので、手順に落とす。順番が重要で、上から順に行う。逆順にすると詰まる。

ステップ1: 証明したい素養を先に決める

エピソード探しから始めてはいけない。まず志望職種で活躍する人の特徴(①御社の業務から導かれる②御社で活躍できる素養)を確定させる。この情報は、会社説明会や逆質問で「一番優秀だと思う方の特徴を教えてほしい」と聞けば手に入る。ここが決まらないうちに素材を並べても、何を語ればよいのか永久に決まらない。

ステップ2: 結果を定義する

ここが地味な素材の最大の関門である。丁寧に分解する。

なぜ最初に結果なのか

前提として、地味なエピソードにはあらかじめ定義された結果が存在しない。「全国大会に出場した」なら、何が達成されたかは説明不要である。しかし「サークルの運営をしていた」「アルバイトでリーダーを任されていた」という記述は、何が達成されたのかを一切語っていない。役割の名前を言っているだけである。

この状態のまま過程を語り始めると、聞き手には「何のためにやっていた話なのか」が最後まで分からない。目的地の分からない道順を聞かされているのと同じである。だから最初に結果を定義する。

第一に、「何がどう変わったか」を一文で書く。

型は単純である。「××という状態を、△△という状態に変えた」。この型に乗らないものは結果ではない。たとえば「代表を務めた」は役職であって結果ではない。「みんなをまとめた」は行為であって結果ではない。「頑張った」は言うまでもない。

判定基準も単純である。その一文だけを読んだ第三者が「それは良いことだ」と分かるかどうか。 分からないなら、まだ結果になっていない。

第二に、可能なら数値を伴わせる。

数値の効用は、聞き手が変化の大きさを自分で判断できる点にある。「増えた」では聞き手は判断できないが、数字があれば判断できる。判断できる材料を渡すことが、そのまま面接官が組織に報告できる材料を渡すことになる。

ただし、測っていない数値を作ってはならない。 数値化できない場合は、状態の記述で代替する。「誰も引き受けたがらなかった役割に、複数人が自発的に立候補するようになった」といった記述は、数字がなくても変化を伝える。

第三に、結果の切り取り方は複数試す。

ここが最も重要な実務上のコツである。同じ経験でも、何を結果と見なすかは一通りではない。 一つの活動には、参加率、継続率、対外的な評価、内部の意思決定の速さ、次の代への引き継ぎ状態など、複数の変化が同時に起きている。そのうちどれを「結果」として前面に置くかは、書き手が選べる。

そして選択基準は、エピソードの側にはない。証明したい素養の側にある。 ステップ1で確定させた②御社で活躍できる素養を、最も素直に裏づける変化を結果として選ぶ。この順序を逆にして、まず「一番すごそうな結果」を探しにいくと、証明したい素養と接続しない結果を選んでしまい、後の全工程が噛み合わなくなる。

ステップ3: 過程を分解する——ボトルネックの因数分解

なぜ因数分解なのか

結果を定義したら、次は「なぜその結果が出せたのか」を説明する番になる。ここで多くの人が書くのは、打ち手の羅列である。「話し合いの場を増やした」「新しい企画を提案した」「一人ひとりに声をかけた」。

打ち手の羅列は、それ自体では評価材料にならない。なぜなら、なぜその打ち手を選んだのかが説明されていないからだ。 打ち手が有効だったのは偶然かもしれないし、他の誰かの提案かもしれない。羅列からは、その人が同じ状況に置かれたときに再び正しい打ち手を選べるかどうかが読み取れない。つまり再現性が証明されない。

再現性を証明するには、打ち手ではなく、打ち手を選んだ理由を語る必要がある。 そして理由を語るということは、「何が結果を妨げていたのか」——ボトルネックがどこにあったかを言うことである。

第一に、定義した結果を構成要素に分解する。

結果を、それを構成する要素の掛け算あるいは足し算として書き直す。たとえば、あるイベントへの参加人数を結果に据えたなら、参加人数は「そのイベントを知っている人数 × 知った人のうち参加する人の割合」に分解できる。継続率を結果に据えたなら、継続率は「入口で辞める割合」「途中で辞める割合」といった段階ごとの離脱に分解できる。

(念のため書いておくが、ここに挙げたのは分解の形を説明するための一般例であり、私自身の実例ではない。)

分解の粒度は粗くてよい。目的は精密な分析ではなく、「結果が複数の要因の組み合わせでできている」という構造を可視化することである。

第二に、どの要素が効いていなかったかを特定する。

分解した要素を見比べ、当時どこが最も低かったか、あるいはどこを動かせば結果が最も動いたかを言う。ここで特定された要素がボトルネックである。

第三に、打ち手をボトルネックに紐づける。

自分が実際に取った行動を、特定したボトルネックに対応させて説明する。「Aという要素が低かったので、Aを上げるためにBをした」という形になる。

この形になった瞬間、打ち手の羅列は意思決定の記録に変わる。面接官が組織に報告できるのは、まさにこの部分である。「状況を分解して原因を特定し、そこに手を打っている」という報告は、業務の文脈に置き換えても意味を失わない。持ち運べる。これが再現性の実体である。

ステップ4: 素養に接続する

ステップ3で並べた過程が、ステップ1で決めた素養の証拠になっていることを確認する。なっていなければ、エピソードを変えるのではなく、まず結果の定義(ステップ2)と過程の切り出し方(ステップ3)を見直す。同じ経験でも、どこを結果と見なすかによって、証明される素養は変わる。

なぜこの手順で足りるのか——サイクルの分野非依存性

この手順を通すと、エピソードは自然に次の順序に整列する。

目標設定 → 現状把握/課題特定 → 解決策検討 → 結果

ステップ2(結果の定義)は「目標設定」と「結果」の両端を確定させる作業であり、ステップ3(ボトルネックの因数分解)は「現状把握/課題特定」から「解決策検討」への橋を架ける作業である。つまり2つの加工は、このサイクルの空欄をすべて埋めるように設計されている。だから、これで足りる。

そして重要なのは、このサイクルが分野に依存しないことである。スポーツでも、勉強でも、サークル運営でも、アルバイトでも、ボランティアでも、このサイクルは同じ形をしている。

なぜ分野非依存なのか。理由は単純で、このサイクルは「何かを良くしようとする行為」の一般形だからである。ある状態を別の状態にしたいと思った瞬間、人は必ず目指す状態(目標)を持っている。そして現在の状態との差を認識し、差を埋める手を打っている。この構造を持たない改善行為は、定義上存在しない。分野が違っても構造が同じなのは、分野が「何を良くするか」の違いにすぎず、「良くする」という行為の骨格は一つだからである。

だから、どんな地味な経験であっても、そこに「良くしようとした」瞬間が一度でもあったなら、このサイクルは必ず回っている。 回っていないのではなく、言語化されていないだけである。

最後の自己点検——任意の一文から「なぜ」を3回掘る

書き上げたら、必ずこれを実行してほしい。原稿の任意の一文を選び、そこから「なぜ」を3回連続で掘る。自分で自分に問うだけでよい。

  • 実際に経験したことであれば、掘るたびに新しい事実が出てくる。最終的に「経験を通じて自分がそう感じた」という、他人が論理的に否定できない地点に着地する。
  • そうでなければ、二層目か三層目で必ず空白に突き当たる。答えが抽象的になる、一般論にすり替わる、記憶ではなく推測を話し始める——これらが空白のサインである。

この検査に通らない箇所は、面接の場でも必ず同じ場所で崩れる。 面接官は職業として何百人も掘っている。素人が自分で掘って見つけられる空白を、彼らが見つけられないはずがない。

空白が見つかったら、書き足すのではなく削る。あるいは結果の定義に戻ってやり直す。

実行チェックリスト

手順としてまとめる。

  1. 証明したい素養(②御社で活躍できる素養)を先に確定させる
  2. エピソードのなかで起きた変化を3つ以上書き出す
  3. そのうち、1で決めた素養を最も素直に裏づけるものを結果として選ぶ
  4. 選んだ結果を「××という状態を、△△という状態に変えた」の一文に整える。第三者が読んで「良いことだ」と分かるか確認する
  5. その結果を構成要素に分解する。粒度は粗くてよい
  6. どの要素が効いていなかったかを特定する
  7. 実際に取った行動を、6で特定した要素に紐づけて説明する
  8. 全体を「目標設定→現状把握/課題特定→解決策検討→結果」の順に並べ直す
  9. 任意の一文から「なぜ」を3回掘り、空白がないか点検する
  10. 空白が見つかった箇所は、書き足すのではなく削るか、結果の定義に戻ってやり直す

この主張の限界

最後に、この記事の主張が効かない条件を明示しておく。

第一に、選考形式によっては、この種の設計がそもそも評価軸に乗らない場合がある。 私は9人1グループのオンライングループディスカッションで落ちた経験がある。そこで評価されていたのは論理の緻密さではなく、先頭に立って議論をリードする姿勢だった。緻密に構成を練るより、単純に目立つことが求められる選考は実在する。ただし、そのような選考スタイルの企業が自分に合うかどうかは、また別の問題である。

第二に、「実績の派手さには一切の効用がない」とまでは言えない。 派手な実績は、面接官の注意を引きつけ、深掘りを誘発しやすい。この効果は実在すると考えている。しかしそれは、合格理由そのものではなく、合格理由を説明する機会を得やすいという効果である。機会を得たあとに何を説明するかは、結局、過程の話になる。

第三に、数値化できない領域は確実に存在する。 人間関係の改善、組織の雰囲気、意思決定の質といったものは、多くの場合測られていない。この場合は状態の記述で代替するしかなく、数値がある場合に比べて説得力は落ちる。落ちることを認めたうえで、状態の記述を可能な限り具体的にするというのが現実的な対応になる。

第四に、そもそも「良くしようとした」瞬間が一度もない経験は、この手順では扱えない。 言われたことをこなしただけの経験には、埋めるべきサイクルが存在しない。この場合は素材そのものを変えるほうが早い。ただし私の観測では、本人が「何もしていない」と思っている経験にも、掘り返すと必ず何かしらの改善行為が見つかる。「何もしていない」は多くの場合、思い出せていないだけである。

第五に、この記事の主張は、私が全通するようになった時期の理解に基づくものであり、すべての企業・すべての面接官に当てはまると証明したものではない。 面接官が内心で何を評価しているかは外から観測できない。私が観測できたのは、この理解に基づいて構成を組み直した結果、通過率が変わったという事実だけである。

そのうえで言えることは一つである。手持ちの経験がありふれていることは、諦める理由にならない。 諦める理由になるのは、その経験から結果を定義せず、過程を分解せず、素養に接続しないまま「やったこと」を並べてしまうことのほうである。


この記事を読む前と、読んだあと

読む前のあなた 勝てるエピソードを探し続けていた。サークルとアルバイトしかない自分は、最初から不利だと思っていた。

読んだあとのあなた 評価されているのが実績ではなく過程の再現性だと分かっている。そして、手元の一番地味な経験を戦える形に組み直す手順を持っている。

明日からやること

  • やめる: もっと強いエピソードを探すこと
  • 始める: いま手元にある一番地味なエピソードで、実行チェックリストの1〜4だけをやってみること。「何を成し遂げたか」が一文になれば、残りは順番に埋まる
前の記事一次・二次・最終で変えるのは回答ではなく、逆質問である