― このアカウントが何のために存在するのか
本記事は、以降のすべての記事(Q1〜Q33)の前提となる思想を述べたものである。技術的な話は一切していない。だが、なぜ私がそれらの技術を発信するのかは、ここにしか書いていない。
いま自分がやっていることが、就活の役に立つのかどうか分からない。
サークルも、アルバイトも、趣味も、続けていて楽しい。けれど「それ、就活では実績にならないよ」と言われたことが一度でもあると、そこから先はずっと引っかかったままになる。打ち込んでいるはずの時間に、心のどこかが減点されている。
早くから動いている人が偉く見える。自分が好きなことに時間を使っているのが、逃げているように見えてくる。
この記事は、その感覚を今日で終わらせるために書いている。結論から言うと、就活のために大学生活を差し出す必要はない。そして、差し出さなくても内定は取れる。
結論から書く
このアカウントの目的と手段を、先に明示しておく。
【目的】就職活動を考慮せずに学生生活を楽しんでよい、という安心感を届けること。
【手段】そのための根拠として、内定に必要なノウハウを提供すること。
順序が重要である。私はノウハウを広めたいのではない。安心を届けたい。ノウハウは、そのための手段にすぎない。
なぜ手段としてノウハウが必要なのか。「安心していい」とだけ言われても、根拠がなければ安心できないからである。 好きなことに打ち込んでいて大丈夫だと言うためには、それでも結果が出る道筋を、構造として示さなければならない。だから私は技術の話を書く。技術そのものを愛しているからではない。安心の根拠を渡すためである。
そして、そのノウハウの中身は一言で言える。
面接を突破することから逆算した戦略である。
以下、なぜ私がこう考えるに至ったかを書く。まず、私自身の話から始める。
1. あの飲み会のことを、いまでも覚えている
サークルの代表になったが、納得できていなかった
大学二年の春、私はサークルの代表になった。自分から手を挙げたわけではない。他薦だった。
正直に書くと、引き受けたはいいものの、しばらく自分を納得させることができなかった。サークル活動を通じて、何か見返りとして得られるものがあるようには思えなかったからである。 大学生活をサークルに捧げる覚悟が、当時の私にはできていなかった。
この選択は正しいのか。ほかにもっと有意義な時間の使い方があるのではないか。その問いが、ずっと消えなかった。
だから、その飲み会に行った
そんなときに、知り合いから飲み会に誘われた。
誘ってくれたその人は、いわゆる「意識高い系」だった。サークル活動はせず、途上国へのボランティアや長期インターンシップに勤しんでいた。そして、その飲み会のコンセプトは「多種多様な学生を集めること」だと聞いていた。
だから私は行った。自分とは違う時間の使い方をしている学生と話して、サークルを選んだ自分が正しかったのかを確認したかった。
実際に行ってみると、多様ではなかった
会場に着いて、すぐに分かった。「多種多様な学生」ではなかった。 誘ってくれた友人と同じような人しかいない。サークル活動に注力しているのは、私だけだった。
自己紹介が始まった段階で、場違いだと感じた。
そして、飲み会が進むにつれて、会話はどんどん自慢話になっていった。こんな社長と飲んだ。自分はこういう仕事をしている。誰それと繋がった。
私は、何も語れなかった。
そして、言われた
そのうち、目の前にいた初対面の学生が、いかにもいやらしい感じで、こう言った。
「サークルの代表とか、全く就活の役に立たないし、何の意味もないから」
私に向かって直接ではない。ほかの人に向けて話す形をとりながら、明らかに私に向けて言っていた。
私は、居たたまれなくなった。飲み会代だけ置いて、途中で帰った。
帰り道に感じたのは、怒りではなかった
不思議なもので、怒りは湧かなかった。
代わりに残ったのは、何も言い返せない自分が情けないという感情だった。なぜなら、その人の言っていることには一理あると、頭のどこかで理解していたからである。私自身が、サークルに時間を使うことの意味を、自分で説明できていなかった。だから反論できなかった。
そして、もっと正直に書くと、当時の私にも同じものがあった。
どこかで、見返りを求めない時間の使い方をしている学生を、見下していたのだと思う。 あの日、私を馬鹿にしたその人も、そして私も、同じ物差しを持っていた。「その時間は、何かに換算できるのか」という物差しである。
私はあの場で、自分と同じ物差しに殴られたのである。
2. 数年経って、いま思うこと
あれから数年が経った。いま私が思うのは、次のことである。
一見無駄なことに、思いっきり向き合った時間こそが財産である。
人は、どうせ死ぬ。どれだけ打算的に生きたところで、それが本心からやりたかったことでないなら、必ず後悔する。
そして、結果から言えば、私の就職活動はうまくいった。 私は四年間、サークルしかやっていない。途上国にも行っていないし、長期インターンもしていない。それでも、うまくいった。
就活に必要だったのは、二つだけだった
振り返って、就活に必要だったものは二つしかない。
一つ。テクニック。
二つ。学生時代に、何と、どう向き合ったか。
二つ目のほうを、もう少し正確に言い直す。どれだけの頭と、体と、時間を使って、真剣に取り組んだか。そして、それをどれだけ語れるか。
面接で問われるのは、何をやったかではない。その時間の中で、何を考え、何に迷い、どう判断したかである。 真剣に向き合った時間には、必ずそれがある。片手間で済ませた時間には、それがない。
そして、真剣に向き合った時間の上にテクニックが乗れば、たいていの企業は受かる。 これが私の実感であり、このアカウントで書いていることのすべてである。
あの夜の序列は、何も測っていなかった
念のため、その後のことも書いておく。
あの日の飲み会にいた人たちの就職の結果は、あの夜あの場で作られていた序列とは、何の関係もなかった。 私を馬鹿にしたその人も、誘ってくれた友人も、あの夜に語られていた武勇伝の通りの結果にはならなかった。
ここで私が言いたいのは、「ざまあみろ」ではない。むしろ逆である。
あの夜、あの場で作られていた序列そのものが、はじめから何も測っていなかった。 どんな肩書きを持っているか、誰と会ったか、どんな活動をしているか。その物差しは、就職の結果を予測していなかった。私が引け目を感じる必要も、彼らが誇る必要も、どちらもなかった。
あれは、実在しない試験の点数を競い合っていたようなものである。
3. 私の後悔 ― 就活が、大学生活を人質に取っていた
あの飲み会は極端な一例だが、当時の空気を象徴している。私の学生時代は、常に就活に脅かされていた。
サークルも、勉強も、留学も、自分が好きでやっていたことだった。それなのに、頭の片隅には常にこういう声があった。
「このまま、これに時間を使っていていいのだろうか」
好きなことに打ち込んでいるはずの時間に、心のどこかが減点されていた。楽しんでいるのに、楽しみ切れない。就活という、まだ始まってもいない未来のイベントが、いま目の前にある時間の価値を勝手に値踏みしていた。
早く動いている人が、偉く見えた
周りには、早くから就活に向けて動いている人がいた。長期インターンを始める人、資格の勉強を始める人、就活イベントに顔を出す人。
彼らが偉く見えた。そして、その反射で、自分が好きなことに打ち込んでいることが「逃避」に見えた。
これは順序が逆である。好きなことに打ち込むのは逃避ではない。だが当時の私には、そう見えていた。
ゼミの選考で、私は落とされた
もう一つ、決定的な出来事がある。ゼミの選考である。
大学二年のとき、私は就活が不安だった。だから、いわゆる「ガチゼミ」を受けた。就活に役立つと書かれていたからである。 そこに落ちたら就活もうまくいかないのだと、本気で思っていた。大学二年で行われる一つの選考が、数年後の就職の結果を決めると、信じていた。
そして、そのゼミの面接で、私は正直に伝えた。サークル活動と両立したい、と。
落とされた。
理由も伝えられた。要旨は、こうである。
「学生の本分は勉強であって、サークルではない」
ここでも私は、自分の時間の使い方を否定された。飲み会で言われたことと、方向は真逆だが、構造はまったく同じである。「あなたが選んだ時間の使い方には価値がない」と、別の物差しを持った人から言われた。
結果を書く
そのゼミの選考は、その後の就職の面接で、一度も話題に上らなかった。 一度もである。
そして私は、サークルを選んだことを、まったく後悔していない。
結局、就活においてゼミもサークルも大差はなかった。どちらを選んだかで結果は変わらなかった。だとすれば、自分が本心でやりたいほうを選んでよかった、というのが私の結論である。
もしあのとき、不安に負けてサークルを降りてゼミを取っていたら、私は自分の学生生活を、実在しない試験のために売り渡していたことになる。
そして、就活を終えてみて
結論から言えば、そんな必要は、まったくなかった。
早く動いていた人が有利だったわけではない。就活のために作った経験が強かったわけでもない。
私に残ったのは、もっと好きなことに、臆せず飛び込めばよかったという後悔である。
留学先で、もっと踏み込めばよかった。サークルで、もっと無茶をすればよかった。就活の役に立つかどうかという物差しを一度も当てずに、ただ面白そうだからという理由だけで選べばよかった。あの時間は、もう二度と来ない。
この後悔が、私がこのアカウントを始めた理由である。
4. 不安の正体は、努力不足ではない。地図がないことである
ここから、構造の話をする。
なぜ、あれほど不安だったのか。いまなら説明できる。不安の原因は、努力が足りないことではなかった。努力の方向が定義されていないことだった。
原因は二つあると考えている。
原因1: 就活の評価が、定性的だから
試験勉強には、明確な採点基準がある。だから「あと何点足りないか」が分かる。分かるから、不安は「やることリスト」に変換できる。
就活には、それがない。何をどれだけやれば加点されるのかが、外から見えない。 評価は定性的で、しかも合否の理由は開示されない。落ちても、何が悪かったのか教えてもらえない。
この状態に置かれた人間は、どう行動するか。「とにかく量を増やす」以外の手段を持たない。 インターンを増やす。説明会に出る。自己分析を延々とやる。目標が定義されていないので、終わりが来ない。終わりが来ないので、不安も消えない。
基準が見えないことによる不安を、努力量で埋めようとしている。 これが、多くの学生が消耗している構造だと私は考えている。
あの飲み会で自慢話が飛び交っていたのも、同じ構造の裏返しだと思う。何が正解か分からないから、量と派手さで安心を買おうとしていた。 私が引け目を感じたのも、彼らが誇っていたのも、どちらも同じ不安から出ていた。
原因2: 不安を煽るコンテンツが、あまりにも多いから
そしてもう一つ。この領域では、不安そのものが商材になりうる。
「まだ始めていないの?」「もう遅い」「上位校の学生はここまでやっている」。こうしたメッセージは、受け取る側の不安を高める。そして不安が高まった人は、有料の対策サービスや、やりたくもない長期インターンに手を伸ばす。
私はここで、そうした発信をしている個人や企業を断罪したいわけではない。善意で発信している人もいるだろうし、実際に価値のあるサービスも存在する。ただ、構造として、不安を高めることが誰かの利益になりうる市場である、という事実は認識しておいたほうがいい。
不安の量は、あなたの準備不足の量とは一致していない。あなたが浴びた情報の量と一致している可能性がある。
だから、不安を消す方法は「もっと頑張る」ではない
以上から、私の主張が出てくる。
不安を消す方法は、努力量を増やすことではない。地図を持つことである。
何が評価されているのか、なぜそれが評価されるのか、どうすればそれを示せるのか。この構造さえ分かっていれば、やるべきことは驚くほど少ない。 そして、やるべきことが少ないと分かった瞬間に、不安は消える。
私がQ1からQ33まで書いているのは、その地図である。技術のカタログとしてではなく、「何をしなくていいか」を確定させるための地図として書いている。
5. 日本の新卒就活の本質 ― 特別な実績は要らない。「変換」できればいい
では、地図の中心にあるものは何か。次の一点である。
日本の新卒採用は、即戦力採用ではない。
これが、すべての出発点である。
即戦力採用ではない、ということの意味
企業が新卒に求めているのは、入社初日から成果を出すことではない。数年かけて育てたうえで、戦力になってもらうことである。
採用は投資である。投資判断に必要な情報は二つしかない。
- この人物は、当社で活躍する可能性が高いか
- この人物は、回収前に辞めてしまわないか
そして、社会人経験のない学生について、企業がこの二つを判定する材料は、学生時代の経験しか存在しない。 ほかに材料がないのだから、そうなる。
だから、経験の種類は問われていない
ここが決定的である。企業が見ているのは、その経験を通じてどういう思考をした人物なのかであって、経験の種類ではない。
サークルでも、アルバイトでも、留学でも、研究でも、趣味でもいい。目標を立て、現状とのギャップを見て、原因を特定し、打ち手を選び、結果を出す。この一連のサイクルは、分野を問わずまったく同じ形をしている。
つまり、あなたが本気で何かに打ち込んだのなら、材料はすでに手元にある。 足りないのは経験ではない。
足りないのは、それを面接官が評価できる形に翻訳する技術である。
「変換」とは何か
具体例を出す。
変換前
「サークルの代表として、新歓活動の運営を担当しました」
変換後
「サークルの代表として、前年比で新入部員の定着率を改善しました。定着率が低い原因を、①入部前の期待とのずれ ②同期との接点の少なさ ③活動の負荷、の三つに分解し、実際に辞めた人へのヒアリングから②が主因だと判断して、初期の交流設計を作り直しました」
同じ経験である。 盛ってもいないし、事実を足してもいない。していたことを、聞き手が評価できる粒度で言い直しただけである。
前者は、面接官の報告書に何も書けない。後者は、「課題を構造化して原因を特定できる人物である」と一行で書ける。
この差が、内定の差になる。 そして、この差は経験の差ではない。翻訳の差である。
あの飲み会で私が何も語れなかったのは、経験がなかったからではない。変換の技術を持っていなかったからである。
翻訳は、あとから学べる技術である
そして、ここが最も重要な帰結になる。
翻訳は技術である。技術は、あとからでも学べる。 数か月あれば身につく。だから、前倒しでやる必要がない。
一方、あなたが本気で打ち込んだ経験のほうは、あとから作れない。 就活の直前に「ガクチカのために」始めた活動は、期間も浅く、動機も「就活のため」なので、深掘りされたときに必ず薄さが出る。
順番が逆なのである。
先に、本気で打ち込む。あとから、翻訳を学ぶ。
これが最も効率がよく、しかも最も楽しい順序である。
6. 脱・就活予備校化 ― ガクチカのために活動するのは、本末転倒である
以上を踏まえて、私が最もはっきりと否定したい風潮を書く。
「ガクチカのために、特別な活動をする」
これは、構造的に間違っている。感情論ではなく、評価の仕組みから間違っている。理由を三つ挙げる。
理由1: 面接官が見ているのは活動の種類ではなく、過程の再現性である
派手な活動が評価されるのは、活動が派手だからではない。結果に至る過程が説明しやすいからである。 過程さえ語れれば、活動は地味でよい。
むしろ、地味な素材のほうが工程が一つ多い。結果の定義から自分で始めなければならないからである。その一工程をこなせる人は、設計力が高いと読まれる。
理由2: 就活のために作った経験は、深掘りに弱い
面接では「なぜそれをやろうと思ったのか」が必ず掘られる。ここで、心の底では「就活のため」だった人は、二階層目で言葉が尽きる。逆に、好きでやっていた人は、理由が自分の内側にあるので、いくらでも掘れる。
面接の深掘りの終着点は、「私が経験を通じてそう感じた」という、他人が論理的に否定できない地点にある。好きでやったことは、この地点に最初から立っている。
理由3: 就活のための活動は、時間対効果が悪すぎる
翻訳の技術は数か月で身につく。一方、就活のために始めた活動を「語れる」水準まで育てるには、年単位かかる。しかも、育てたところで、好きでやってきた既存の経験を翻訳した場合と、結果は変わらない。
投資対効果で考えても、答えは出ている。
7. 私のノウハウの設計思想 ― 面接から逆算する
ここで、このアカウントで提供するノウハウが、どういう設計になっているかを説明しておく。
就職活動の最終関門は、必ず面接である
どういう選考プロセスであれ、内定を出すという意思決定は、面接の場で行われる。 これは例外がない。
ESも、Webテストも、グループディスカッションも、インターンシップも、すべては面接にたどり着くための通過点にすぎない。最後に人が人を見て決める。それが日本の新卒採用である。
とすれば、準備の順序は自動的に決まる。
面接で合格することから逆算して、自己分析もESも作る。
これが、私が妥当だと考えている設計である。
なぜ「自己分析から始める」と終わらないのか
多くの就活マニュアルは、自己分析から始めよと説く。私はこの順序に反対である。
理由は単純で、自己分析には終了条件がないからである。自分を掘る作業に、どこまでやれば十分という基準は存在しない。基準がないので、いつまでも続く。続けているうちに、「自分にはやりたいことがない」「自分には強みがない」という結論に至って、不安が増える。
何のための自己分析かが定義されていないから、終われないのである。
一方、面接から逆算すると、自己分析の目的が確定する。
- 志望職種の業務で、活躍する人が持っている資質は何か
- その資質を、自分のどの経験で証明できるか
この二つに答えられれば、自己分析は終わりである。 自分の全人格を解明する必要はない。必要なのは、証明に使う部分だけである。
ESも同じである。ESは書類選考を通過するための文書ではなく、面接で何を話すかを自分で決めるための事前打ち合わせ資料である。面接官は手元のESを見て質問を組み立てるのだから、ESに書いた内容が面接の議題になる。だとすれば、先に面接で話したいことを決めて、それに誘導するESを書くのが合理的である。
Q1からQ33まで、すべてこの逆算の思想で書かれている。 個別のテクニックに見えるものも、辿れば「面接で合格理由を渡す」という一点に収束する。
8. ただし、「何もしなくていい」とは言っていない
ここは誠実に書いておく。私は「就活の準備は不要だ」と言っているのではない。「準備すべきものは少ないので、それ以外を捨てていい」と言っている。
そして、唯一、前倒しでやっておくべきものがある。Webテストの対策である。
理由は、ここだけが構造的に取り返しがつかないからである。書類選考の実質は、学歴とWebテストのスコアという定量指標による機械的な足切りである。そして企業によっては、夏のインターンシップ選考で受検したWebテストの結果を、その後の本選考でもそのまま使い回す。私の友人は、これによってその企業の選考をそもそも受けられなくなった。
面接の技術は、あとからいくらでも身につく。だがWebテストのスコアは、一度紐づくと動かせない場合がある。
だから、私が「前倒しでやれ」と言うのは、この一点だけである。逆に言えば、それ以外はすべて、好きなことに使っていい。
9. このアカウントで発信すること
私は、30社に落ち続けた状態から、面接評価の「変換術」を身につけた。その後は、コンサルティングファームや金融業界の選考を通過し続けた。四年間、サークルしかやっていない学生が、である。
そして、この構造は転職でもそのまま通用した
社会人になってから、私は転職活動をした。そこで確認できたことが二つある。
一つ目。準備は、面接前の30分だけだった。
私が用意したのは、いつもの三点セット――①その会社の業務 ②その業務で活躍できる素養 ③その会社を辞めない理由――だけである。それも、AIを使って面接直前に30分ほどで組み立てた。それ以外の対策は、していない。
それでも通った。 構造さえ理解していれば、準備にかかる時間はここまで圧縮できる。これが「型」を持つということの意味である。
二つ目。未経験の領域でも通った。
しかも、志望した領域は、それまで自分が経験してきた業界・分野とはまったく異なる、実質的に未経験の領域だった。それでも選考は通り、あるコンサルティングファームからは、通常は管理職レベルにしか支給されないサインオンボーナスの提示を受けた。
未経験の領域に、30分の準備で臨んで、この結果である。経歴でも、専門性でも、準備量でもない。評価の構造を理解しているかどうかで、これだけ変わる。
なお、私は転職しなかった
補足しておくと、結局、私は現職に留まった。
内定を取ることと、そこに行くことは別の判断である。選考を通過する技術は、行き先を増やすためのものであって、いまいる場所を否定するためのものではない。選べる状態を作ったうえで、いまここに残ると決められること。それ自体が、この技術がもたらした一番の価値だったと思っている。
だが、私が発信したいのは実績ではない。実績に依存しない「型」である。
- なぜその方法だと評価が上がるのか、という評価の構造
- 面接官が何を判定しているのか、という採用側の意思決定モデル
- それを踏まえて、誰でも実行できる手順
センスは要らない。派手な実績も要らない。必要なのは、構造の理解と、それを自分の経験に当てはめる作業だけである。
そして繰り返すが、私がこれを発信するのは、技術そのものを広めたいからではない。「これだけやれば十分だ」という上限を提示することで、それ以外の時間を安心して好きなことに使ってほしいからである。
10. 私が目指すこと
最後に、このアカウントの目的をもう一度書く。
就職活動を考慮せずに、学生生活を楽しんでよい。
その安心感を届けることが、私の目的である。
私は、就活を頑張ることを否定しているのではない。就活が、学生生活を脅かすことを否定している。
大学生活の主役は、就活ではない。あなたが好きでやっていることである。その順序が逆転している状態が、私はおかしいと思う。そして、逆転していなくても内定は取れると、構造から言い切れる。
就活に役立ちそうだとか、無駄だとか、そういう物差しは、就活に本当に何の関係もない。 一見無駄に見えることでも、語れるくらい全力で向き合えば、必ず面接の材料になる。あとは技術さえ身につければいい。
もし、いまこれを読んでいるあなたが、かつての私と同じように、好きなことに打ち込みながらどこかで後ろめたさを感じているのなら、伝えたいことは一つである。
そのまま、続けていい。就活は、あとから間に合う。
打算的にならず、自分がやりたいことを思いっきりやり切る学生生活を過ごしてほしい。一度きりの学生生活を、就活に怯えながら過ごす必要はない。臆せず飛び込んでほしい。 そのための地図は、私が用意する。
そしてもう一つ。あの日の私を馬鹿にした人のような、斜に構えた学生にはならないでほしい。 そして同時に、当時の私のように、他人の時間の使い方を心のどこかで値踏みする側にも回らないでほしい。あの物差しは、誰も幸せにしなかった。
補足1 ― 早く動いている人を否定しているわけではない
念のため書いておく。
私は「早くから就活に動くのは間違いだ」と言いたいわけではない。長期インターンが本当に面白くて続けている人もいる。途上国でのボランティアに本気で向き合っている人もいる。就活を通じて社会を知ることが楽しい人もいる。それは、その人にとっての「好きなこと」である。何の問題もない。
あの飲み会にいた人たちを、私はいま否定するつもりはない。彼らの活動そのものが悪かったのではない。あの場で「どちらの時間の使い方が上か」を競っていた構造が、双方にとって不幸だっただけである。
私が否定しているのは、行動そのものではなく、「不安に駆られて、やりたくもないことに時間を投じる」という構造である。
判定は簡単である。自分に一つ聞いてみればいい。
就活が存在しなかったとしても、私はこれをやっていただろうか。
やっていたなら、続ければいい。やっていなかったなら、それは不安が選ばせた選択である。そして、その選択は、たいていの場合、内定にも直結しない。
補足2 ― この主張の限界
私の経験は一人分である。私が説明しているのは、私が観測した範囲での構造であり、すべての企業・すべての業界に当てはまることを保証するものではない。
特に、次のような領域では、事前の準備や特定の経験が実際に必要になる。
- 専門性が要件になっている職種(研究職、専門技術職、資格が前提の職種など)
- 一部の外資系企業やベンチャーで行われる、実質的に即戦力性を見る選考
- 業界特性上、早期に接点を持つことが選考プロセスに組み込まれている企業
「新卒は即戦力採用ではない」という前提が成立しない場所では、私の主張はそのまま適用できない。 自分の志望領域がどちらなのかは、確認しておいたほうがいい。
そのうえで、日本の新卒一括採用という制度の中心部分については、私はこの理解で全通した。少なくとも、不安に駆られて学生生活を差し出すほどの根拠は、どこにも存在しない。
この記事を読む前と、読んだあと
読む前のあなた 好きなことに打ち込みながら、「これでいいのだろうか」という後ろめたさを抱えていた。就活のために何かを始めるべきだと思っていた。
読んだあとのあなた いま続けていることを、そのまま続けていい。内定に必要な準備は驚くほど少なく、前倒しが要るのはWebテストの対策だけだと分かっている。
明日からやること
- やめる: 「就活の役に立つか」という物差しで、今の時間を測ること
- 始める: 「就活が存在しなかったとしても、私はこれをやっていただろうか」で選ぶこと。やっていたなら、続けていい